八王子の景色   広園寺 境域                            [戻る]


東京都指定史跡 広園寺境域
    所在地 八王子市山田町一五七七
    指定   昭和三四年二月二一日
広園寺は、康応二年(一三九〇)大江備中守師親が、峻翁令山
和尚を請じて開創したと伝えられますが、火災等により文献が
焼失しているため明らかでありません。幾度かの火災や復興を
経ましたが、天正十八年(一五九〇)、豊臣秀吉の小田原攻めに
際し兵火にかかり諸堂が焼失しました。
江戸時代初期には幕府の庇護のもと、京都南禅寺派の禅宗寺
院として発展し、七堂伽藍が整備されます。今日多くの塔頭は失
われているものの、広園寺の伽藍配置は踏襲され、ています。
元禄一〇年(一六七八)及び寛政四年(一七九二)の火災で荒廃
しますが、文化から天保年間にかけて現在の堂宇のほとんど
が再建されました。
丘陵を背に南面し、総門・山門・仏殿が一直線上にあり、中間東
方に鐘楼があります。背後には石垣をもって一段高く本堂・庫裏
開山堂が東西に接続しています。江戸時代後期の建築物(総門
・山門・仏殿・鐘楼が都有形文化財)を含む禅宗寺院様式の伽
藍配置がよく残されています。
     平成二二年三月建設

                       東京都教育委員会

(東京都教育委員会の説明板より)


広園寺はその『境域』が都指定史跡に指定されている。
広園寺の境内に足を踏み入れると、鎌倉の円覚寺や建長寺の
境内に立っているような感覚をおもえる。
周囲の緑の深さや静かな境内、大きな山門などのためだろう。

広園寺の開基は誰であるのかは諸説ある、
和田合戦で滅亡した横山党の領地を引き継いだのは、鎌倉幕
府の重臣・大江広元であった。
その子孫である、大江師親や長井道広が広園寺の開基であり、
片倉城を築城したとも言われている。
都教育委員会の説明板は『大江師親』としながらも、断言はして
いない。

広園寺は建物の姿が美しく、眺めていても見飽きることがない。
折にふれ、訪れてみたくなる寺のひとつである。
特に、春の仏殿の前に咲くヤマザクラは大きく枝を張って美しい。
桜の時季には、境内でスケッチをする人の姿が多くなる。